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2010年5月

中国・ミニヤコンカ連峰撮影の旅

2010・5・17~21

中国・四川省にあるミニヤコンカはチベット語で白氷雪を意味し、連峰の主峰・貢嗄山は7556mを誇り、その麓には聡長30,7kmのも及ぶ海螺溝氷河がある。今回、山岳写真家柳本氏が案内する撮影ツアーに参加し、秘境の旅を堪能することができた。ツアー人員10名で、大阪から参加の方や、80歳を越えた年配の方が、標高3400mの撮影地点で頑張り、私の心に勇気を与えてくれた。写真をクリックすると大きくなります。

Conv6100s_2 海螺溝は成都から約340km、我々の車は、長江系支流の大都河の激流を眺めながら、新緑のつづら路を登って行った。

途中、3437mの二郎山があり、近年全長4176mのトンネルが出来、それまでは、1日かけての峠越えの難所であったとか。

やがて、海螺溝森林公園入り口に着く。ここで、グリーンバスに乗り換えて、一号営地、二号営地、さらに、我々が泊まる標高2980mの三号営地に向った。

残念ながら、雨雲が低く垂れ込め、天気は最悪である。本来ならば、ここ、三Conv6102s号営地で、夕日に輝く、日照金山を撮るはずであったが、この、小雨空では無理。

しかし、薄雲たなびく緑の山並は水墨画のような美しさである。流れる雲が千変万化の絵画を演出する。日本ならば、樹木も埴えない高所が緑に包まれているのが不思議である。宿泊の三号営地から四号営地「3400m」までロープウェイに乗った。足下に海螺溝氷河が展開する。

Conv6105s氷河といっても、灰色の岩石のように見える。これは、両側の砂礫が氷河に押しつぶされ氷河を覆ってしまったからであると、ガイドさんの説明であった。

高さ1080m、幅1100mの大氷滝の眺めは壮観だ。大自然の神秘さが胸を打つ。

3400mの展望台からジグザグの急坂を、100mばかり下の氷河まで降りる。晴れていれば、氷河と貢嗄山峰の素晴らしい写真が撮れのに残念であった。

しかし、何千年か何万年かの時を超えて、形成されたこの大氷河が、あの長江の源流となって田畑を潤し、人々の命を支えているのである。

6122時々、ゴーと地鳴りのような音が聞こえる。氷河の割れる音だそうである。静かに聞き入ると地球の鳴き声のようにも聞こえる。

突如雲が流れ、上方に純白の氷滝が眼前に現れた。フアインダーで覗くとすごい迫力だ。

再び展望台まで、登るのに空気が希薄のせいもあって、息苦しく、難行苦行の連続であった。よほど籠やさんの厄介に6121なろうかと考えたが、何とか頑張り自力で登ることができた。

雲間より7556mの貢嗄山峰が一瞬、顔を出した。

1981年~1994年の間、北海道山岳隊員、千葉山岳隊員、日本ヒマラヤ協会隊の方々など多数の日本人が遭難死されているとか。山男達のロマンの夢が偲ばれてならない。

三脚を立て、夕方まで頑張るが雲がきれない。16124

しかたがないので、宿泊の三号営地まで戻り、ホテルの屋上で再び、三脚を立てる。

すると一時、薄雲をたなびかせて、7千mの高峰が雄姿を現す。

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貢嗄山の隣にミニヤコンカの三連峰(6468)が雲間に浮かび上がってきた。

3千mの高地なのに新緑が眩しい。日本では考えられない光景である。

翌日、四号営地から、再び来た路を引き返した。

Conv6109s途中、労街星星村に立ち寄りスナップ撮影を行った。

この村は、かって、雅安からインドに至るルートのシルクロード宿場街として栄えたとのことで、往時の面影が随所に偲ばれた。

住民の60%が少数民族のイ族で、後はチベット族の人達だそうである。

Conv6110s_2ニーハオと呼びかければ、皆ニコニコと寄ってくる。手振り見真似と片言での会話がはずむ。

不老長寿の薬を並べて、自分の長寿を示すドクターと称する薬やさんや、靴の修理やさん。暖かい心が伝わってくる。

屋外で一緒にご飯を食べている家族。子供達も可愛らしく、平和な桃源郷のような雰囲気を持つ村落であった。

今回の撮影ツアーの目標は、秘境に佇むヒマラヤにも匹敵する高峰の夕照の輝きを撮ることであったが、残念ながら天候に恵まれなかった。しかし、5日間という短い期間であったが中国の奥深く、3400mの高所で観た風景は、深く、私の心の感動として、生涯に刻み込まれるであろう。ご同行の皆様には深く感謝する次第です。  詳しくはこちらのHPをご覧下さい

 

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新緑の房総・大山千枚田

2010.5.13

 快晴の天候に誘われて、鴨川の大山千枚田から館山の海辺を散策してきた。今や世界はグローバルの時代、人口13億の大国が猛烈な勢いで膨張して来ている。日本は将来に向けてどのような展望を開いていけばよいのか。

民主党政権は、シッカリと腰をすえ先見性をもって国を引っ張っていってもらいたい。普天間の結論も、抑止力も睨みながら、基地を出来るだけ縮小し、機能を分散させるのが、行き着く先と考える。鳩山首相は、先ず米側との交渉を持ちながら地元とのコミニュケーションを図るべきではないか。今となっては、5月末結論を急ぐべきではない。

040 大山千枚田は田植えも終わり、田の畦道には野の草花が息吹きの香りを撒き散らしながら輝き、新緑が心に滲みる里山の風情である。048 反対側西斜面の棚田は、まだ、苗が植えられていない。若木の緑が水に映えて美しい。山間の棚田は現在370枚ほどとか、オーナー制も取り入れて、作付けを続けている。将来を見据えて、食糧自給率を上げるためにも、益々棚田が栄えることを心に念じながらの眺めであった。

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目を転じれば高さ400m緑滴る愛宕山の斜面に、山藤の紫が鮮やかで、棚田に彩りを添える引き立て役のようでもある。

019 鴨川市から海辺のドライヴ、館山の海岸は荒波に浸食された岩肌が、猛々しい造形美をつくり、その先に春の海が長閑にのたうち、大島が遠望される。山も良いけど海も良い。潮風が心地よく肌をなでる。東京に近い房総半島の4季は心を癒してくれる自然の舞台である。

003_2  海に沈む夕日はドラマチックである。哀愁が心を包み、寂寞の想いがのしかかる。歳を重ねる毎、その感が一層強く感じるのかもしれない。

カメラを持って自然を散策、また、旅をする。撮った写真を見れば、そのときの感動が呼び戻され、また、写友や、家族に見せて、共感を得られればこれもまた楽しい。趣味を持てば心に張りが出る。

もう、70歳後半であるが、さあ、これからも元気で長生きしよう。

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旧甲州街道・笹子峠

2010.5.6。

連休も終り、ここ中央道沿線の観光地から人々の賑わいも消え、漸く、静かな山野が戻って来た感であった。今日も晴天の春日和。歴史を偲んで旧甲州街道の難所笹子峠の散策に向った。

Conv6053s旧 甲州街道は日本橋を起点として、下諏訪に至る230kmの幹線道路であったが、街道きっての難所は標高1096mの笹子峠越えの十数kmである。

峠頂上付近に、昭和13年洋風な隧道が建設され、昭和33年新笹子トンネルが開通するまで重要な役割をになった。

現在は登録有形文化財に指定されている。

Conv6052s その昔の更なる旧道は、雑木林の荒地のなかにかろうじて面影を残し、強兵どもが通った夢の跡は細々とした、けもの道となっている。

また、この一部は遊歩道として整備され、熊よけの鈴を鳴らしながら女性ハイカーが賑やかに通って行った。

Conv6050s_2

山道が突如開け、明治天皇ご野立ての記念碑が建っていた。明治13年6月19日ご巡幸されたときのものである。

街道全盛期には、三軒茶屋とも呼ばれ旅人の休憩地として賑わったという。せせらぎの音、小鳥のさえずりを聞きながら昔の風情が偲ばれてならない。

Conv6054s_2  峠トンネル付近からの新緑の山並。

この峠を境にして、西方を国中、東方を郡内地方と呼び、こちらは山岳地帯の不良土壌で、徳川時代、農民は安住を得られず、農民一揆など騒動と犠牲が絶えなかった。

文久元年皇女和宮は甲州街道を通り江戸に下向したが、この峠道も3日3晩、絢爛の行列が続き、先頭が江戸に着く頃、まだ、末尾は甲斐の国上野原宿にあったという。

Conv6051s_2 矢立の杉(山梨県指定天然記念物)

樹高約28m、樹齢1千年の大杉である。広重や北斎の道中記にも描かれた名木も、今では老朽化が進み、根元に5~6人も入れる空洞の幹になっている。

その昔戦場に向う武士達は、この杉を神霊と仰ぎ戦勝を祈って、一番矢を立てたという。

傍らに杉良太郎さんが歌った歌詞の碑が立っている。

今回は、私の生まれ故郷の近くでありながら、行ったことがなかった笹子峠に、歴史の想いを馳せながらの散策であった。

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春の安曇野散策

2010.5.2

今年は、4月に入ってから低温の異常気象つづきで野菜が高騰するなど、庶民の台所を直撃しているが、連休の期間中は反転、晴天の行楽日和であった。5月1日山梨の家に行き、2日、好天に誘われて、信州安曇野を散策した。

北アルプスの白い峰々が青空に輝き、新緑の息吹がほのかな香を運び、田の畦が燦々とし始めるなど、命の喜びを感じる旅であった。

1052_004 中央高速八ヶ岳PAからみる甲斐駒ケ岳、山桜と緑の里山を見下ろしてそそり立つ風貌は豪快で、心を圧倒する。

1052_010 豊科ICを降り、国営アルプスあずみの公園を散策。山麓のすぐ背後には常念岳、蝶ケ岳が聳える。

公園の中を烏川の沢が流れ、スミレの花やタンポポの花が咲き乱れ心を癒してくれる。

1052_044 安曇野の里に春がやってきた。咲き乱れた花畑の背後で北アルプスの雪山が里を見守っている。

1 昔ながらの道祖神が道端に佇む。家族の幸せを求めて、暮らしてきた人々の願いが心に響く。

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奥に入れば常念岳を背にして山桜が咲き誇り、里に下れば、遅咲きの八重桜の元に道祖神が佇む。

心安まる安曇野の風景である。

ところで、普天間の問題は益々こじれ、日本の将来にとって憂慮すべき事態となってきそうである。これは、日本の国家の在り方としての問題に繋がる。鳩山首相は高い洞察力をもって国民に対する説明責任を果たす必要があろう。

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