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[カンボジア・ちいさな命たち]の写真展を見て

この、写真展は2010・6・3~9、アイデムフォトギャラリ-「シルウス」で開催された「足立君江」女史の写真展である

文明社会の片隅で貧困などのため、怪我や病気で苦しむ子供達や、治療に当たる人々の姿が、感動的に撮られた心に響く写真展である。写真一枚々に哀しみに耐えながら、明日の希望を求める人々の心情が感じられ、頑張れ々とおもわず声援を送らずにはいられなかった。

アンコール小児科病院は、カンボジア・シェムリアップ市にあり、写真家・井津建朗氏の呼びかけで、1999年開院された救急医療病院である。5日のギャラリートークの日には、現地在住の女性の方が、病気のわが子を自転車に乗せて3日掛りで病院に連れてきたお父さんの話や、また、祈祷師との関りの苦労話など、100名近い来場者の胸に深い感銘を与えた

足立さんは、10年前の2000年カンボジアにツアー参加した時、ご一緒された方で、このとき、写真家斉藤先生のカンボジアに対する熱情と、現地の貧しくも逞しく生きる子供達の姿に感銘し、それから、18回もカンボジアに渡航し、バイクで家庭を訪問しながら、交誼を深めていったとのこと。まさに、有名な「土門拳」氏の「筑豊の子供」を彷彿させる方でもある。また、昨年は「カンボジア・働く子供達」の写真集も出版している。

かって、この国は、9世紀~15世紀メコン河流域にかけて、壮大な文明を築いたクメール王国があり一大強国を誇っていた。しかし、近年は大国の国際政治に振り回され、米国の空爆や、さらに、「ポルポト」政権下では3百万人もが虐殺されたと言われている。私が訪れた2001年、埋められている地雷数は4~6百万個、幼い子供も含めて被害者は4万有余人にものぼっていると聞かされた。

私が2000年と2001年に渡航したとき、荷物運びを手伝ってもらった「ワンダラボーイ」や元気一杯勉学に励んでいた少女達は今どうしているか。今は20歳も過ぎ,きっと国の中核となって働いていると思う。

P39_2 私が撮った当時の写真を振り返りながら、恵まれない境遇にもめげず、元気一杯逞しく生きた子供達を紹介したい

物心ついた幼い年代でも、子供達には働く役割がある。水汲み・炊事などの家事から、家業の手伝いなど。

Scan471 トンレサップ湖は、魚の宝庫であり、大勢の水上生活者がいる。

子供達は小さなときから魯をあやつり、親の手伝いである。

平均寿命は、厳しい生活のためか50歳ぐらいだという。お年寄りは余り見かけない。働く子供達が目につき、日本とは大反対である。  

725s 当時、カンボジアでは学校施設も教員も少なく、たいていは、木造バラック建で、当時は2部制3部制が多く、就学率も低いとの話であった。

しかし、子供達の燃えるような眼差しで教師と応答する雰囲気は、日本の恵まれた子供達に見せたいものだ

日本の有志の方とNGOの応援で造られた中学校があり日本語教育もなされているとか。将来、日本と友好の人材が生まれるのではと思われた。

928s_2シェムリアップ市の小児科病院には、貧困からか、栄養失調と思われる不幸な子供たちも多い。

P52_3 病院の壁に張り出された子供達の絵には、お父さん、お母さん、など、家族が描かれていた。

病に伏せながら家族を思う心情には胸が痛む。

829s 親の居ない子供が入居している孤児院。

ここの代表は、日本に留学され、日本人の奥様共々広く福祉関係で活躍されている方である。

日本の歌を歌って我々を歓迎してくれたこの子たちも、今は立派に成長され、幸せな生活を送っているのではと思う。

1029s_3 NGO支援の職業訓練センター

地雷で足をもがれた人も、将来の自立を目指して訓練に励む。

カンボジアは私が訪れた10年前とは、大変な変わりようであるという。シェムリアップ市も近代的に大きく変わったと聞く。ポルポト派に追われ親兄弟が虐殺され、かろうじて生き残ったという青年も、今では、念願の福祉関係で生涯の仕事に取り組んでいると思う。

若い国、将来の発展を秘めたカンボジアに更なる栄光が輝くよう心より願ってやまない。

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