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信州・高原に秋の気配・幼き頃の想いでが重なる

2010.8.25  信州・霧ケ峰八島湿原散策

今年は酷暑の連続で、35℃以上の猛暑日が新記録になりそうだとか。涼秋を求めて八島高原の奥霧ヶ峰から鎌ヶ池を一周した。暑さのなかにも高原の秋を感じる心地良い散策であった。

152 湿原入り口から、右回りで木道を行くと黄色の花畑が広がり続く。オミナエシは姿が優しく、しなやかで女郎花ともいわれる。高層湿原の彩りが美しい。

また、所々盛りを終わったヤナギランが白い綿のような穂をつけて群生し、サラシナショウマや、3~4cmの赤い花をつけるアサマフロウなども目を愉しませる。

079 鎌ケ池近くにヤマトリカブトが咲いていた。猛毒な植物であるが、紫鮮やかで女王の風情である。

湿原の東側・雪不知に石器時代の遺跡がある。1万年もの昔、この、山深い高地に我々の先祖が暮していたのかと思うと不思議な感動を覚える。

054 しばらく行くと華やかなシモツケソウが咲いていた。もう、終わりの時季なのに今年は暑さが続くためか、花も戸惑いながら咲いているのでは。

もう少し、早い時期ならば、近くの蝶々深山にマツムシ草の群生が見られたのであるが、それでも、処々ヒッソリと咲く可憐な紫の花に心が和んできた。

065 湿原のススキを観ると、秋の気配を肌に感じる。「土用の半ばに秋風ぞ吹く」、歳を重ねる毎、時の流れが殊更心に滲みる。

やがて、2000m近い高原は秋から一足早い冬に包まれ、白一色となっていく。

173 里に降りると、まだ、田圃は青々とし、稲の穂がずっしりと重く、夕日で染まる田園が美しい。

戦中・戦後の子供の頃、父と一緒に耕し、田植えをした頃が想い出される。陽の沈む頃、蛙の合唱が賑やかだった。やがて、星明りのなか蛍が飛びあい、漸く、家路につく。

激しい農業労働のためか、父は62歳で逝った。私は父の余命を貰って、80歳に近ずくまで生きてきた。親のありがたさが心に滲みる。

099   当時、我が家は祖母・両親と妹3人、私と7人家族。祖母は慶応元年生まれ、慶応5年、錦の御旗を打ち立てた官軍が、甲州街道を江戸に向って進軍した時の様子を微かな記憶のなかから話してくれたのを思いだす。

祖母は明治・大正・昭和の激動の時代をどのように感じていたのであろうか。ほりの深い端正な顔だちの祖母は終戦の年、7月敗戦も知らずに逝った。

一週間前まで元気で畑仕事をしていた祖母は、ひ弱な私によく言った。「人生は七転び八起き決して負けるな」と。

私も家族も、今は亡き祖先の労苦によって成り立っている。

私は田園を旅するのが好きである。田園は心の故里でもあり、幼き頃の想いでが蘇り、心を癒す楽し風景である。

                 

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